いじめ事件6割増=28年ぶり400件超す―警察庁 - じょうばん法律事務所 弁護士のブログ インターネット詐欺・不当解雇 着手金0円
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いじめ事件6割増=28年ぶり400件超す―警察庁

ニュース記事はこちら

タイトルのとおりの記事です。

いじめが原因として、全国の警察が摘発した暴行や傷害などの事件が2013年に410件

とあるとおり、いじめって一部は犯罪なんですよ…。
ですから、警察に言うことは決しておおげさなことではないです。

ただ、確かに子供達の間でいじめが起きたら全部が全部警察に登場してもらうのか、といったらそれは違和感があります。
ケンカの延長であったりするなら、それは仲直りできた方がいいに決まってます。

問題は、継続的であまりにも力関係に差がある場合です。

難しいのは、いじめの被害は表面化しにくく、最悪の場合は学校・教育委員会まで隠蔽をはかることです(最近はだいぶなくなってきたように感じますが)。
表面化したきっかけが自殺だったなんてことになると取り返しがつきません。

今被害に遭っている方は、勇気を持って誰かに相談してみてください。
本当は楽しいはずの学校や部活動が毎日毎日苦痛というのは非常に悲しい。

いじめ防止対策推進法の施行を受け、13年からいじめの定義を見直して広くとらえた影響もあるという。

と書いてありますけど、これは関係ないと思うな。
犯罪の定義が変わったわけではないのだから、警察の出番が増えるということもないと思います。
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コメント

非公開コメント

相談できない

鬼沢 健士先生
 警察庁集計のいじめ問題統計記事に対する雑感を拝読しました。
 いじめ問題に関して正確なご認識をお持ちだということが、文面から理解できました。
 すべてのいじめを警察マターにすることは望ましくないものの、犯罪事実が明らかなら警察に告げることは決しておおげさでないとのご見解、おっしゃる通りと存じます。
 学校や、教育の場と称する組織は、いじめがあっても体罰教師がいても、何をやっても法によって制限されないという安心感を持って活動しています。やりたい放題が許されるとの思い込みの下、特殊な社会、聖域として保たれています。学校や指導者、仲間を飛び越して親や警察、弁護士に被害者が相談するなど思いもよらない-。こうした感覚が蔓延しています。
 加害者は、体罰、いじめによって、思い通りにならないはずの他人を思い通りにし、全知全能の自己を実現しようとします。これは教育という聖域のみで許される、加害者のお祭り、楽しみです。文字通り、楽しいから人を辱めるのです。聖域外に出ることを許されない被害者は、絶望して死を選びます。
 こうした観点から申しますと、「被害に遭っている方は、勇気を持って誰かに相談してみてください」との鬼沢先生の呼び掛けについては、違和感を感じます。
 相談できないから被害者は苦しむのです。誰かに通報したり訴えたりしたら、非難されるのは「教育の論理」を「法の論理」で否定した被害者というのが、今のいじめや体罰の現場の実態です。
 そして被害者は、加害者と仲良くしながら、支配下に置かれながら、状況を独り、改善しようとします。可能なのは、一部避ける素振りをするか、弱々しい抵抗をするのみです。これは実に危険なことです。
 必要なのは、学校やクラス、部活動という閉鎖された空間を用意した大人たちが、責任をもって、彼らの振る舞いの一つ一つを注意深く見つめ、変調を感じたら全身全霊で大人が子どもたちの中に飛び込み、被害者の苦悩を、加害者の誤った悦楽を感じ取ることです。犯罪を見つけることは、大人の責任です。
 しかし、現代の教育者には、子どもたちの中に飛び込んで教え育て導くという気概に欠けます。
 私は、教育と称する組織に絶望しています。被害者の相談を待つより、「これ以上やったら警察・裁判だ」と聖域を解除するキーを振りかざし、定着させる方が得策と存じます。
 それには正義と法の番人である先生の業界のご活躍が必要です。業界では、過払い金問題などで広告をたくさん打っています。いじめ問題でも相談を呼び掛ける広告を見かける時代がもし来れば、いじめ・体罰問題の風景も少しは変わっているのではないでしょうか。

Re: 相談できない

> 鬼沢 健士先生
>  警察庁集計のいじめ問題統計記事に対する雑感を拝読しました。
>  いじめ問題に関して正確なご認識をお持ちだということが、文面から理解できました。
>  すべてのいじめを警察マターにすることは望ましくないものの、犯罪事実が明らかなら警察に告げることは決しておおげさでないとのご見解、おっしゃる通りと存じます。
>  学校や、教育の場と称する組織は、いじめがあっても体罰教師がいても、何をやっても法によって制限されないという安心感を持って活動しています。やりたい放題が許されるとの思い込みの下、特殊な社会、聖域として保たれています。学校や指導者、仲間を飛び越して親や警察、弁護士に被害者が相談するなど思いもよらない-。こうした感覚が蔓延しています。
>  加害者は、体罰、いじめによって、思い通りにならないはずの他人を思い通りにし、全知全能の自己を実現しようとします。これは教育という聖域のみで許される、加害者のお祭り、楽しみです。文字通り、楽しいから人を辱めるのです。聖域外に出ることを許されない被害者は、絶望して死を選びます。
>  こうした観点から申しますと、「被害に遭っている方は、勇気を持って誰かに相談してみてください」との鬼沢先生の呼び掛けについては、違和感を感じます。
>  相談できないから被害者は苦しむのです。誰かに通報したり訴えたりしたら、非難されるのは「教育の論理」を「法の論理」で否定した被害者というのが、今のいじめや体罰の現場の実態です。
>  そして被害者は、加害者と仲良くしながら、支配下に置かれながら、状況を独り、改善しようとします。可能なのは、一部避ける素振りをするか、弱々しい抵抗をするのみです。これは実に危険なことです。
>  必要なのは、学校やクラス、部活動という閉鎖された空間を用意した大人たちが、責任をもって、彼らの振る舞いの一つ一つを注意深く見つめ、変調を感じたら全身全霊で大人が子どもたちの中に飛び込み、被害者の苦悩を、加害者の誤った悦楽を感じ取ることです。犯罪を見つけることは、大人の責任です。
>  しかし、現代の教育者には、子どもたちの中に飛び込んで教え育て導くという気概に欠けます。
>  私は、教育と称する組織に絶望しています。被害者の相談を待つより、「これ以上やったら警察・裁判だ」と聖域を解除するキーを振りかざし、定着させる方が得策と存じます。
>  それには正義と法の番人である先生の業界のご活躍が必要です。業界では、過払い金問題などで広告をたくさん打っています。いじめ問題でも相談を呼び掛ける広告を見かける時代がもし来れば、いじめ・体罰問題の風景も少しは変わっているのではないでしょうか。

匿名希望様

コメントありがとうございます。

相談を呼びかけることについては、結局のところ賛成ということでしょうか。
教育現場からは、一人の担任が担当する児童の数が多すぎるという声も上がっていますね。教師ばかりに責任を押しつけていても問題は解決しないと思います(現に何十年と解決していません。)。

いじめ問題は、エスカレートする前に解決しないと加害者も重大非行少年になりかねません。かばうつもりはありませんが、おそらく本当に軽い気持ちでいじめている子がいます。重大な結果が生じる前に、大人が介入することは重要であり、匿名希望様の大人の責任という意見には心から共感できます。

不幸にも、いじめによって重大な結果が生じる案件が多かったこともあり、社会はいじめ問題撲滅に向けて動き始めています。この潮流によって、学校が生まれ変わってくれることを期待して止みません。