平成25年司法試験の採点実感等に関する意見 憲法編
司法試験ネタを増やせ、と言われました。
平成25年の採点実感が公表されているので、それを分析していこうと思います。
公表はこちら
憲法編とタイトルをつけましたが、他の科目まで書くかどうかはわかりません。
受験生の目にとまっている手応えがあったら必ず書きます。
実感を抜粋しながら、分析していきます。
問題の事案をよく読み,どのような行為が何によってどのように制約された
のかを正確に把握することが肝要である。
→当たり前なんですけど、これは本当にそう。
法律で制約されているのに私人間効を書く答案も結構あります。
そして、原告となる人は何を制約されたことが不満なのかをピンポイントでとらえましょう。
判断枠組みを構築した上で,本問事案に対する具体的検討を行い,一定の説得力のある妥当な解決を導き出すことが
求められている。
→繰り返すことになりますが、「具体的」というのがポイントです。
設問自体に「条文の漠然性及び過度の広汎性の問題は論じなくてよい。」と記載されているにもかか
わらず,「平穏な生活環境を害する行為,商業活動に支障を来す行為という規定は,
抽象的で広すぎるから違憲である」などと述べる答案
→問題外ですね。するなと言われてるのにする。「一応書いておかないと不安だ。」という気持ちの表れなのかもしれませんが、絶対に止めた方がいいです。
憲法はメイン論点を厚く書いて勝負する傾向が強いので、メインではないところはどんどん飛ばしましょう。
まして「書かなくてもいい」というのは「書いたらダメだ」という意味だと思ってもいいくらいです。
この対比的な構造を明確に意識している答案は少なく,平板ないし並列的に論ずる答
案が多くを占めていた。
→何か複数が問われているときは比較するのが普通です。何か違うところがあるはずだから、そこに注目して書いてね~というメッセージが含まれています。
その場所がパブリック・フォーラム(PF)であるか否かを意識した答案
はほとんど見られず,道路が伝統的なPFであることを指摘する答案は少なかった。
→割と基本的な内容だと思いますが、書けている答案は少ないようです。
答案レベルは低く、勝負をかけるのが有効な科目だと思います。
デモ行進の現代的意義について丁寧に論じる答案が多く見られたのは好印象であ
ったが,他方で,表現の自由の性質の論述では,「自己統治,自己実現を支えるか
ら重要な人権である」という紋切り型のものが多かったことは,学習内容の問題性
を示してもいる。
→前半は他の問題でも使ってください。人権を「表現の自由」ととらえるのではなく「デモの自由」ととらえるだけで論じる内容はかなり違ってくるはずです。
後半の「自己統治・・・」は、全然ダメ。
全く具体的になっていない。これを書いていることがダメであることに気づかないうちは、憲法は低迷すると思います。
他の問題でも同じことを書いているような部分は評価されません。目の前の事案について結論を導き出すことが求められているわけで、一般論なんか問われていないのです。
わいせつ表現でも選挙活動でも「自己実現・・・」と書くのかって話です。
ちゃんと権利の性質を考えましょう。
表現の自由は重要だから厳格審査という
パターン化した答案,あるいは,「厳格審査の基準」を選択するにせよ「中間審査
の基準」を選択するにせよ,それを選ぶ具体的な説明を書いていない答案やこれら
の基準の正確な理解を欠く答案が多く,本問の具体的事案における問題の所在を把
握した上で判断枠組みを構築しようとする答案が少なかった。
→これも上に書いたのと同じ。
表現の自由にも無限の種類があるのに、「表現の自由だから重要。基準は厳格に・・・」で満足している答案が本当に多いです。
差別的表現、わいせつ表現と政治活動を区別せずに論じているのと同じなんです。
問題となっている権利の性質からいって、それを制約するとどのような危険があるのか等を具体的に論じて、基準を定立してください。
「民主政の過程が・・・」も全然ダメってことになります。
原告側の主張を十分に論じていないものや原告の主張内容が極端な答案,
真に対立軸となるような反論のポイントを示していない答案
→最後の自分の考えだけがメインであると考えて他を薄くする答案は確かに多いです。
配点はあまり変わらないと思うので、危険です。
主張内容が極端なものも多いですね。本問では関係ありませんが、「外国人に人権はない。」とか。
裁判でそんなこと本気で言うと思うか、考えてみてください。
真に対立軸となる、というのはメインの論点ってことですね。
上にも書いたとおり憲法はメイン論点を厚く書くのが勝負です。
取り分け原告側の主張において「正当化」という見出しを付けて記述する
ことは,適切ではない。原告側が行うのは,「違憲の主張」である
→見出しの付け方まで評価されているってことですね。
これも度々指摘しているが,行頭・行末を不必要に空けて書く答案は,
少なくなってきてはいるが,いまだに存在する。
→度々指摘されているならやめましょう。
行頭を少し空けるのは段落分けの便宜もあると思いますが、行末を空けるのは意味不明ですね。
「不良」と認められる答案とは,憲法上の問題点を取り違えている上に,事実の摘
示がおざなりであったり,観念的・定型的な記述に終始したりしているものである。
→まさに具体的ではない答案のこと。どの問題にも同じような論述をしているとアウトです。
「自己統治・・・」「民主政の過程・・・」は危険なワードです。
書いてしまう人は禁止してみることをおすすめします。
他の科目に続くかも?
平成25年の採点実感が公表されているので、それを分析していこうと思います。
公表はこちら
憲法編とタイトルをつけましたが、他の科目まで書くかどうかはわかりません。
受験生の目にとまっている手応えがあったら必ず書きます。
実感を抜粋しながら、分析していきます。
問題の事案をよく読み,どのような行為が何によってどのように制約された
のかを正確に把握することが肝要である。
→当たり前なんですけど、これは本当にそう。
法律で制約されているのに私人間効を書く答案も結構あります。
そして、原告となる人は何を制約されたことが不満なのかをピンポイントでとらえましょう。
判断枠組みを構築した上で,本問事案に対する具体的検討を行い,一定の説得力のある妥当な解決を導き出すことが
求められている。
→繰り返すことになりますが、「具体的」というのがポイントです。
設問自体に「条文の漠然性及び過度の広汎性の問題は論じなくてよい。」と記載されているにもかか
わらず,「平穏な生活環境を害する行為,商業活動に支障を来す行為という規定は,
抽象的で広すぎるから違憲である」などと述べる答案
→問題外ですね。するなと言われてるのにする。「一応書いておかないと不安だ。」という気持ちの表れなのかもしれませんが、絶対に止めた方がいいです。
憲法はメイン論点を厚く書いて勝負する傾向が強いので、メインではないところはどんどん飛ばしましょう。
まして「書かなくてもいい」というのは「書いたらダメだ」という意味だと思ってもいいくらいです。
この対比的な構造を明確に意識している答案は少なく,平板ないし並列的に論ずる答
案が多くを占めていた。
→何か複数が問われているときは比較するのが普通です。何か違うところがあるはずだから、そこに注目して書いてね~というメッセージが含まれています。
その場所がパブリック・フォーラム(PF)であるか否かを意識した答案
はほとんど見られず,道路が伝統的なPFであることを指摘する答案は少なかった。
→割と基本的な内容だと思いますが、書けている答案は少ないようです。
答案レベルは低く、勝負をかけるのが有効な科目だと思います。
デモ行進の現代的意義について丁寧に論じる答案が多く見られたのは好印象であ
ったが,他方で,表現の自由の性質の論述では,「自己統治,自己実現を支えるか
ら重要な人権である」という紋切り型のものが多かったことは,学習内容の問題性
を示してもいる。
→前半は他の問題でも使ってください。人権を「表現の自由」ととらえるのではなく「デモの自由」ととらえるだけで論じる内容はかなり違ってくるはずです。
後半の「自己統治・・・」は、全然ダメ。
全く具体的になっていない。これを書いていることがダメであることに気づかないうちは、憲法は低迷すると思います。
他の問題でも同じことを書いているような部分は評価されません。目の前の事案について結論を導き出すことが求められているわけで、一般論なんか問われていないのです。
わいせつ表現でも選挙活動でも「自己実現・・・」と書くのかって話です。
ちゃんと権利の性質を考えましょう。
表現の自由は重要だから厳格審査という
パターン化した答案,あるいは,「厳格審査の基準」を選択するにせよ「中間審査
の基準」を選択するにせよ,それを選ぶ具体的な説明を書いていない答案やこれら
の基準の正確な理解を欠く答案が多く,本問の具体的事案における問題の所在を把
握した上で判断枠組みを構築しようとする答案が少なかった。
→これも上に書いたのと同じ。
表現の自由にも無限の種類があるのに、「表現の自由だから重要。基準は厳格に・・・」で満足している答案が本当に多いです。
差別的表現、わいせつ表現と政治活動を区別せずに論じているのと同じなんです。
問題となっている権利の性質からいって、それを制約するとどのような危険があるのか等を具体的に論じて、基準を定立してください。
「民主政の過程が・・・」も全然ダメってことになります。
原告側の主張を十分に論じていないものや原告の主張内容が極端な答案,
真に対立軸となるような反論のポイントを示していない答案
→最後の自分の考えだけがメインであると考えて他を薄くする答案は確かに多いです。
配点はあまり変わらないと思うので、危険です。
主張内容が極端なものも多いですね。本問では関係ありませんが、「外国人に人権はない。」とか。
裁判でそんなこと本気で言うと思うか、考えてみてください。
真に対立軸となる、というのはメインの論点ってことですね。
上にも書いたとおり憲法はメイン論点を厚く書くのが勝負です。
取り分け原告側の主張において「正当化」という見出しを付けて記述する
ことは,適切ではない。原告側が行うのは,「違憲の主張」である
→見出しの付け方まで評価されているってことですね。
これも度々指摘しているが,行頭・行末を不必要に空けて書く答案は,
少なくなってきてはいるが,いまだに存在する。
→度々指摘されているならやめましょう。
行頭を少し空けるのは段落分けの便宜もあると思いますが、行末を空けるのは意味不明ですね。
「不良」と認められる答案とは,憲法上の問題点を取り違えている上に,事実の摘
示がおざなりであったり,観念的・定型的な記述に終始したりしているものである。
→まさに具体的ではない答案のこと。どの問題にも同じような論述をしているとアウトです。
「自己統治・・・」「民主政の過程・・・」は危険なワードです。
書いてしまう人は禁止してみることをおすすめします。
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